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故 地村 保さん「絆なお強く―別離の苦難を乗り越えて」

本の紹介 : 2021年06月30日(水)

知人が同本の共著である岩切裕さんと地元宮崎の同級生とのことで、「絆なお強く」を貸していただいた。早速、手にとったが、内容は口語調で読みやすく4時間足らずで読み終わった。

地村保さんの息子、保志さんの拉致による失踪後間もなく、母親は心痛のあまり倒れてしまう。父親の地村保さんは、妻の介護に明け暮れながらも仕事を続け、同時に息子の消息と救出を求めて、思いつく限りの行動をとってきた。一徹な父親のあくなき執念、それは24年間にも及ぶ壮絶な闘いの日々でもあった。「やっちゃんは必ず帰ってくる」と息子の生存を信じて、24年間待ち続けた父親の執念と行動力。(本の紹介文より)

本を読んで感じたのは、地村さんの愛の深さだった。息子さんは苦難の末、帰ってくるものの、奥さんは息子を顔を見ることも叶わず帰国の半年前に他界。そんな地村さんを綴ったページを紹介したい。(北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、拉致被害者家族会元代表の横田滋さん(87)の訃報を聞き、以前ブログで紹介させていただいた文章を掲載させていただきました。人間について、また人権や国家ということを改めて考えさせられます。)

(掲載ページ53~54ページより転載)

夕方6時半くらいになると、家内の顔と体をぬるま湯でふいてやるんや。一日じゅう寝たきりでいると、これが気持ちええんかほんまにうれしそうな顔をするんや。

退院する前に介護の仕方もいろいろ説明を受けとったもんやから、わしはそのことを毎日忠実に実行した。

いまでは常識になっとる、寝たきりの人向けの介護方法、たとえば血行を促したり、運動不足を補うために筋肉をもんでほぐしたり、膝の曲げ伸ばしなどの基本的なものに、わし白身で工夫したマッサージも加えた。もちろん、床ずれなぞせんように、まめに体の向きを変えたり着がえをさせたりと、介護に専念したもんやから、いつやったか家内の体を見た看護師にわしはほめられた。「介護が行き届いていますね」言うて。

夕食の支度も慣れるにつけ、うまくできるようになった。仕事の現場をのぞいた帰りなんかにスーパーに立ち寄って、惣菜やそのほか必要なものを買い込むのが日課になり、味噌汁を作ったり、季節の食材を工夫して家内が喜ぶように精いっぱいの食事をこしらえた。

家内の介護をしながら、わしにも自然にわかってきたことがある。それは、できうる限り相手の立場になりきらねばならんいうことや。けっして先を急いではいかん。介護される身になってみれば、自分の思いどおりにならんことが多いと、イライラや不満が重なり、かわいそうやし、精神的にもおかしくなると思う。家内と気持ちを一つにすることで、わしはその手足として役に立っている自分に満足した。

世の中を忙しく突っ走っている人にはむずかしいかもしれんが、弱者へのいたわりがわしの心に芽生えていった。そやから家内のプライドを大切にし、雑な扱いをすることがないよう心がけたんや。

二人で湯ぶねにつかっとると、ほんの一瞬なんやがなんか心地いい、平和な気分にもなった。ほんまに皮肉なもんや。やっちゃんらが失踪せなんだったら、こうして二人だけで向き合う時間もなく、相変わらず仕事に追われる生活が続いとったやろう。一緒になって、こんなにゆっくり家内の顔を見たことはなかった。

わしは家内の介護で、本当に充実した夫婦の時間を授かったように思う。

世の中には、夫婦が生活のために一生懸命働いたにもかかわらず、いつの間にか心が通わなくなり、崩壊してしまう家庭もある。

そやから、わしは家内の介護がつらいと思うたことは、ただの一度もなかったんよ。そら男やから、こった料理とかでけへんし、限界もあったけど、とにかくこれ以上でけんほど精いっぱいのことをやった。わしは食わんでも、家内には三食きちんと食わせとった。

家内が昼寝をしとる時間を見はからって、わしは洗濯機を回した。そのころは大人用の紙おむつなんかあらへんし、ボロ布や浴衣をほどいておむつにしとったもんやから、日に三回くらいは洗濯せんならんかった。もちろんかぶれを防ぐために体は必ずぬるま湯できれいにしてやって、清潔第一を心がけとったわな。天気のいい日には車いすで何度も散歩するんやが、楽しそうにしておった。

わしには家内のしぐさで何をしてもらいたいのかがすぐわかるようになった。やが、一応それを言葉にして確認するようにした。のどか渇いたようなそぶりをすれば「何か飲むか?」と聞く。すると、うなずくんや。

家内は、テレビの上にある保志の写真立てを取ってくれと、しょっちゅうねだった。胸元に持っていってやると、不自由な手でそれをふところにしまうしぐさをしよるんや。そうして写真を抱きながら、いつも涙流しとったわ。倒れてからも保志のことしか思わなんだろう。不自由な言葉で、保志の名前ばっかり呼んどったわな。

「こんなにお前のこと、めんどうみとんのやで。たまにはわしのことも好きや言うてみたらどうや」冗談でそう言うたこともあったけど、力なく笑うだけやった。