10月からスタートした宮大夕学講座(2017年)。合計10講座が予定されている。
3回目の講座は、浅田次郎さんが出演。講座を振り返ってみたい。
(本との出合い)自身の読書体験。恵まれた環境ではなかったが、学校の図書などを読破するなど、楽しみながら本を読んだとのこと。よって、読書は勉強するという意識よりも、読書は娯楽と考えている。1日1冊のペースで読んでいた。面白いから読むという。
若いころは、内容はわからないものの読み進めていく「背伸びする読書」でもやがては理解できると考えている。他に読書の楽しみ方は朗読することで大切である。声と聞こえる言葉で意味もわかる。
さらに、書くことで読んだだけではわからない情景が生まれる。さらに本を比較しながら読むことでさらに面白い。本は、学ぶというより、記憶に残ればよいと考えている。そこから何かを学ぼうというより、漫然と読むことが大切だと感じている。
特に音読することで「、」で文章のリズムを理解できる。現在、1時間に原稿用紙100枚程度を読むスピードで読んでいる。
これまでさまざまな作者の文章を読んだ。特に川端康成の「雪国」は秀逸で、出だしの3行程の文章を見るとき、大きな世界を小さな言葉に封じ込めていると感じる。また、芥川龍之介は文章のお手本になる。とてもスタイリッシュ、音楽のようにリズミカルである、谷崎純一郎は、多彩である。(京都に墓があり、墓参している)
(小説と想像力)小説は嘘の世界の物語である。しかし、その物語も、ものを思う想像力がないといけない。ものを創り出せなくなる危機感を感じながら、常に満たして置かねば書けない。そのような意味からも、現在でも読書の時間は書く時間以上に大切にしている。
(遅いデビューに関して)
・言葉生き残る作家ことばは多作である。数が少ないと上手にはならない。私は25年間150冊を書いてきた。振り返ってみると、デビュー時期に関わらず、最終的には同じような量を作家は書いているように感じている。
・人間に笑いは大切。ユーモアは古くならない、それは天性であるとも感じている。興味や闘志を引き出す小説を書きたい。
(会場からの質問に応えて)
・小説を実写化される作品という意識はあるかという質問。それは演出家や脚本家の仕事である。それより、スクリーンの中の世界にいてお客とその場面を共有することが大切である。
・3つの書く工夫について。1、わかりやすく 2、面白く 3、美しく。それが感動につながる。
・手書きを続けているが、書くことは肉体労働である。書くことでタイプする以上に表現できると思う。雪国の世界をタイプ文字で表現しようとすると、紙面の数枚が必要ではないかと考えている。
・先ほど話したように小説は嘘の世界。しかし、その世界をつくる責任を感じている。その場、その世界で使用している言葉(訛りなど)を再生するようにしている。登場人物が語りだす世界を表現するために、日頃からのマンウォツチングで、その人の世界を創造している。