今から15年程前、子どもが朝「お腹が痛い」と言うようになった。病院に連れて行くと、成長痛だと診断。
そのうち症状も緩和すると思い、見守っていた。それから1年あまりが経ち、少しは緩和されるも時折、朝の訴えは続いた。
今思うと、その頃から学校生活の違和感を感じ始めていたのだろう。その時期は、仕事も忙しく一緒に遊ぶことが少ない数年だったように思う。
中学校2年生になった春。他のクラブで移籍したいという。理由は、先生と馬が合わないとのこと。話を聞いた後、自分で話しをつけるように具体的な進め方を教えて、諭した。その後、他クラブへ移籍。
それから1ヶ月もしない内に、携帯で悪口を書かれるようになったとのこと。うざいとキモイという文面だったとのこと。しばらく辛抱するように話した。理由は、いつまでも続くものではないし、すぐに判断するより、状況を見る必要があると感じたからだ。
それから数日、「お父さんもう限界じゃわ。学校にはいかない」と娘。
私は、「それなら学校行かんでいいよ。学校がすべてではない」と話した。娘が耐えていることがわかっていたので、それ以上頑張る必要はないと感じたからだ。1週間程して、たぶんもうこの学校にはいかないだろうと感じた。それは理屈ではなく、直感的というしかない。家で学ぶことの限界もある。さらに嫁も気持ちが落ち込んでいく。このままで家族が崩壊すると危機に感じた。何か手を打たないといけない。そこで以前テレビで観た山村留学について考えた。自分の娘を他人に預けるなんて・・とは思ったが、背に腹はかえられない。
そして翌日、娘に「せめて中学校くらいは出ていないと後々苦労するよ。他の中学校へ行くか?山村留学という制度もあると聞いたよ。」と話した。それから数日して娘は、鹿児島の潮風留学制度があることをインターネットを通じて調べてきた。潮風留学とは、鹿児島県の離島の里親が、小中学生を受け入れて育てる制度で、県市町村も支援している制度だ。娘も新しい環境と海に囲まれた生活へ希望を見いだしているように見えた。
親子で中学校を数日かけて選んだ。そして、留学先を鹿児島県三島村に絞り、娘と鹿児島市内にある三島村役場へと出掛けた。(続く)